あけおめ09。

みなさまあけましておめでとうございます。


新年にあたりみなさまにとりましては幸せに満たされた1年になることをお祈りしております。


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父の手作りの馬。何やってもウマいのはインチキだ。



私の仕事が決まらない状態なので年末の帰省は遠慮しようと思っていた。
ところが私の実家の状況が「ちょっと無理をしてでも」と思わせる雰囲気であったので、智ちゃんの「やっぱ帰らない?」という言葉と実家からの「旅費は援助するから」という申し出もあって、帰省を決める。

実家の状況というのは前も少し触れた事がある通り、区画整理による立ち退きが決まっている事だ。
遅くとも新年の夏までを目処に両親は長年住み慣れた地を離れて、長野に移ろうかと言っている。

呉市による広町の区画整理事業はかれこれ10数年続いている。
帰省する度に風景は崩されて穏やかな山肌をトンネル工事は侵食し、ずっと向こうまで見えた田畑は新しく埋め立てられた上に建築された新しい(しかしどこかみみっちぃ)家々とアパートによって、すっかり無くなってしまっていた。

西条のインターを降りてから広町に入る前まで、割と長閑な昔を思わせる風景は残っているものの、それも広島大学の移転があったおかげで随分とクルマの多い、ヒトの多い、賑やかな(という事はつまりこの辺も家やアパートが立ち並んでしまったということだ)田舎に姿をじわじわと変えている。
もっとも、その変化の具合は我が広町に比べると大人しいもので、この辺が実家であればそこそこの都会より帰省する意味というのは大いにあると感じる。

広町の窮状は今回の帰省で最たるものに感じた。

ここまで酷くなると都心住まいの皆様に状況の説明は至極簡単である。
「田舎に帰られたのですね。どんなところなんですか?」
「昔は小田舎でして、山と川に挟まれて、夕方には南から海風があがってくるようなところでした」
「現在は違うんですか?」
「今は区画整理が進み、例えるなら国道16号線の周囲にどこでもある町のような姿です」


エコノミックアニマルとしての日本人は、非常に簡単な思考回路しか持っていないのだと思う。
道路を作りましょう。そこを中心に住居を碁盤の目に配しましょう。商業施設を誘致しましょう。
かくして、国道16号線沿いにどこにでも見られる風景の誕生となるのだ。
そこには大きなディスカウントストアがあり、靴の安売り屋があり、タイヤの安売り屋があり、カレー屋があり、イタ飯屋があり、ファミレスがあり、その隙間にはコンビニがある。

小学校の時に基地を作った空き地も、中学校の時に彼女と高校が別になる事を涙しながら歩いたあぜ道も、高校の時に友達との詰まらないトラブルで憤慨しつつ雨に塗れるがまま裸足で(!)帰った道も、そんなものはもう全部ディスカウントストアとかコンビニとかファミレスの下敷きになってしまっている。


市は現在の建物と土地を買い上げて代替え地を用意するという。
広町は田畑が多い町だったので、跡継ぎのいない畑持ちの方々の中にはこれを朗報とする向きも多かったようだ。
母方の祖父が発起人のような形になり事業への反対運動を始めた頃がもう本当に大昔のように思える。
その後祖父は亡くなり、一緒に運動をやっていた私の父がその後を引き受ける感じだった。

帰省してその反対運動は今でも続いていると聞いた。

周囲がどんどん埋め立てられて(川の土手の高さまで埋めるというので、これはもう本当に驚くほどの高さまで土砂を入れている)、反対運動で今だに残っていらっしゃる方々の住居は周囲を高い土砂山に囲まれて、私の言うような「風景」の問題どころではなく、陽光の強烈な照り返しとか閉塞感によって死活問題にもなり兼ねないような状態であった。
今の反対運動はその意味では「立ち退きを反対する」目的から「少しでも有利な条件を得て平和に解決したい」というものに毛色を変えているようだ。

町民・市民の平和な暮らしを守りたいという当初からの理念は、断固として守られていると私は感じる。
今はすでに売り渡してしまった方々にしても、ココに反対運動が無ければそこまで有利な条件提示が市からあったかどうかは怪しいものだ。
私は残り少なくなった運動のメンバーの方々には本当によく頑張られたなぁと感心してしまう。
同時に良くニュースで見るような反対運動の内容が、これまではちょっと辟易と見てしまう面も自分にはあったのに「こういうのは住民がやらないとイケナイ事だ」とまで思うようにもなっている。
市区町村との穏やかなやり取りのみで有利な生活権を獲得できることなど無いとも思う。


埋め立てられた土砂の上でそうと凧をあげた。
土砂の上より眺める景色は、新築の家々がきちんと整列した中に、まるで土砂に埋め潰されそうに見える旧来の民家が非常に切なく見えた。

ウチの裏庭には柿の木があってそこにはメジロとかスズメが遊びに来ている。
近付くと逃げてしまい、どこに逃げたのか目で追うと、お隣の柿の木であった。
面白いことに新築された家々の庭には鳥を呼べるような実りが見えない。
今まさに埋め潰されようとしている住居群の中にはたくさんの植物があって、蜜を蓄えたり、実をならせたり、それが、また本当に胸にくるのだ。
植物たちには埋め潰しも分らないから、来年の春、またその先に向けて一生懸命に生きている。
鳥たちはあるがままあった風景を、何故だか土砂の山に挟まれた家々にしか見つけられなくなった事を不思議がるでもなく、やはりそこが今後もあるがまま(ウチの庭の柿が来年はもう無くなっているのではないかという事など想像もできないだろう)そこにあるのだろうと、せっせと冬支度に明け暮れる。


私が小学校4年の時に新築した私の実家は、今や当初難航した芝生もしっかりと根付き、木々も驚くほどに太くなった。垣に植えられた山茶花も同様、逞しく大きく成長して、花を眺めているウチに芳醇な蜜が花から垂れるほどだ。
改めて「こんな太い木があったっけ?」と思う事も数度あった。
両親が楽しんでいた花畑とハーブガーデンのような玄関へのアプローチ。
いや、鉢植えならば移動もできようが、地付きの植物はどうなるのだろうか。
紫陽花に水仙に…。


移動の進捗状況も折からの不景気で思うように進んでいないという。
長野の山荘が売れれば、それでその少し下の場所に土地を買って家を建てると言っていたのに、この景気の悪さでは売却の方が難しいようだ。
かと言って、住んでいた場所の近くに代替え地を用意してもらうというのは嫌だと言う。
風景がここまで変わってしまったら、確かにココに固執する気持ちにはなれないだろう。



12月30日
夜中の1時まで年賀状のプリントを行って支度。
1時30分に出発した。
圏央道の青梅インターに乗るまで、ウチのあたりがマイナス4度で近くの山王峠超えでは凍結しており気を使う。
青梅インターから南下して中央道へ。
中央道は順調だった。内陸なので気になっていた気温も終始0度前後で雪はおろか凍結も見られない。
恵那渓で給油。高速のガソリンは先月価格が反映されると聞いていたので、ハイオク111円はまあ妥当なところかと思う。
名神に入って滋賀県のあたりには沿道に雪が見られた。けれども中央道を過ぎてからは気温もずっと穏やかだ。
大阪を抜けて中国自動車道の渋滞のあおりか山陽道までの道でしばらく渋滞があった。
このあたりで夜が明ける。
山陽道に入ってから岡山の吉備で給油と休憩。そろそろ広島県入りなので給油は少なめに3000円だけ行った。下の方が安いという読みだ。
そうは従兄弟の修ちゃんに食べさせると言ってきびだんごを調達した。

西条で下に降りる。
深夜割り引きの恩恵で8000円ちょっとだった。

インター近くのスタンドで再給油。ここはセルフで106円程度だった。あまり変わらないと言えば変わらない。
(・´ω`・)。

国道375号線を実家に向けて走る。
西条で新幹線の通過を見た。

実家到着は朝11時45分くらい。
今回はタイヤを気遣いつつ、おまけにターボも駄目だもんで大人しい運転だったのにいつもより時間がかからなかったのは渋滞が無かったせいかもしれない。休憩もほとんどしなかったしね。

到着後、私は挨拶そこそこにしばらく周辺を散歩してからお昼寝をした。

晩ご飯のお刺身は絶品だった。
特別面白いものを買った訳ではなかったのに、こちらで食べる魚はもう何を食べても外れがないと思う。
「旨い」という言葉に誘われて魚だけはあちこちで食べるのに、瀬戸内海の魚を凌駕する小味の利いた魚はどでも食べる事ができない。

父と話すと「魚だけは」と言う。

どこに引越してもいいと思う。ただ魚だけは心残りだと。
私もそう思う。

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12月31日
母はおせちに加える「巻寿司」を作った。
聞けば「生まれて初めて作った」らしい。
初めてとは思えない(そうでもないか)手付きで巻いた巻寿司は、柔らかい色合とサイズも小さくてとても可愛らしい仕上がりだった。
味の方は酢を随分と少なめに使って非常に上品な洗練されたものだった。
個人的にはこれくらいの酢の量が好きかもしれない。
あまり巻寿司が得意ではない私も生まれて初めて「美味しい!」と思って食べた。
この味付けは父方の祖母のものだそうだ。
祖母は私をとても可愛がってくれた。小学校5年生の時に癌で亡くなってしまうまで、本当に可愛がってくれた。祖母の巻寿司を私は憶えておらず、だから「こんな味だったんだ」と感慨深かった。

お昼にそうの演奏会。
学校の宿題のリコーダーにて「聖者の行進」を披露。お婆ちゃんによるピアノ伴奏付き。
そうは音楽がイマイチらしい。本人もあまり歌ったり、楽器に触れたり、音楽を聴いたりということをしない。
ただ、ここ最近私のiPodを借りに来てなにやら聴いている事が増えてきた。
とは言え、何を聴いているのか尋ねるとm.o.v.eらしいので音楽的にはどうなのかやっぱり不明ではある。



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音楽と言えば、何年ぶりかで紅白を見た。
最近の若い歌手(え?歌うだけでアーチストって言うの?)たちは皆歌がうまくて、同世代のアイドル系の子たちの下手っぷりが際立ち可哀相だったよ。
明菜ちゃんが出ていなかったのが寂しかったな。私は正直あまり聴こうとも思わなかった聴かず嫌いのコウダクミが意外にも良かったのが驚きだった。
何でも聴いてみるもんだと思った。

蕎麦は特製のだし汁を買ってきたとか(爆)で、実家で唯一苦手料理だった年越し蕎麦もお雑煮も(出汁のみで味はかなり薄いのだ。いつももう少しメリハリがあれば良いのにと思っていた)非常に旨かった。

蕎麦を食べてからそうを鐘つきに誘う。
そうも行くというので川向こうの真光寺へと二人ででかけた。
到着すると境内は結構賑わっており、写経でもやっているのか遂に正体が分らないままの本堂でのイベントを気にしながら、鐘つきの順番待ちの行列に並んだ。

しかし、行列もちょっと長い。
鐘の横を通過した時に「66番目です」とついた順を坊さんが教えてくれる声が聞こえたが、どう見ても待っているヒトは30〜40人程度ではない。
いよいよ近付いてきて鐘の周囲の最後の順番待ちの列になった時に「100番目」という声が聞こえ、数えてみると私たちはそこから20人ほど後ろだったので「締め切りになったらごめんね」とそうに言った。
108つで行列を止めてくれれば無駄に並ばなくても良いのにとちょっと思ってしまった。

しかし、予想に反して行列はどんどん短くなり、無事にそうもつかせてもらえたのだが。
聞いてみると119番目だったと。
(・´ω`・)。
なるほど、煩悩だけはどんどん増え続ける世の中だもんで(それとも並んでいる者にとって、108コの煩悩の次の煩悩が「鐘をつかせてくれ!」というものだったからなのか)、まあそうではなくてどこでもそういうものなんだろうけどね、取りあえずは寒空に連れ出した親父のメンツも立った訳だ。

帰路橋を渡りながら子供の頃この川で流された子供がいるんだという話をしていた。
そうはおとなしく、浅く見える川に驚いて、どうしたのと聞いて来た。
そうしたら橋の向こうから見慣れた顔が近付いてきた。
従兄弟の優子ちゃんだった。
宴の帰り道らしい。挨拶をして、明日飲みに行くねと帰って行った。

そうだ。今のお姉ちゃんの妹のさゆりちゃんが川に流されたんだよ。
(・ω・)b
そうは余計にリアリティが増したようでしきりにふんふんと頷いていた。
さゆりちゃんは増水した川に流されて、付近を通過中のドライバーが飛び込んで助けてくれたのだ。
いつもは浅くて良く水遊びを楽しめる川なのに、台風が来るとすごい勢いだった。
ダムの放水があるからね。



1月1日
書き初め。
そうは課題の「こうし」を何度か書いてベストを決めた。
見ている大人たちも習字に火がついて、全員で書き初めすることになる。

そう「こうし」

私「もうし」孔子ときたら孟子だよね
智ちゃん「ブルーレイ」一番欲しい冷蔵庫と書かない所が奥ゆかしい。

母「破顔一笑」
父「一陽来福」
と、この二人はさすがであった。

にしても、父の字がとてもいい。
智ちゃんと母は習字を習っていたので上手いは当たり前にしても、父は習った事がないという。
やはり美術は書道にも通じるのだろう。字を字としてではなく絵として描く。
芸術に秀でる者としては当然か?

私はそうよりも下手だと思った。
(・´ω`・)。


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従姉妹来訪。
川水の叔母の娘の一人でまゆちゃんの一家がご子息を連れて来られる。
まゆちゃんは妹と仲が良かったので電話するも、どうにもつかまらない。
ご子息をそうが面倒みて(というか一緒に遊んでもらってた感もあるな)盛り上がる。
川水家は叔母が母の妹で、母と二人の妹はいまだに仲が良い。叔母は元ミス着物の女王になった美人だ。
彼女の娘の二人は共に才媛。
今回会えなかったみほちゃんは私とも仲が良くて、東京在住である。
ちなみに彼女は東大大学院卒のばりばりエリートで、日本人では数少ない国際弁護士の一人なのだ。
みほちゃんのところにもそうより一つ上の男の子がいて、前は時々会わせて遊ばせていた。
最近は引越のせいですっかり疎遠になってしまった。

夜にまた別の従兄弟が来訪。
一番お気に入りのゆうこちゃんと、その妹二人。
次女のみゆきちゃんは私と同級生で小学校の時には同じクラスになったこともある。
ゆうこちゃんは海水魚飼育をやっていたことがあって魚の話をし始めると私と二人で止まらなくなる。
一番下のさゆりちゃんは嫁に行きたくないらしくて、まだ実家のとなりに生活している。
ちょっともったいないと私は思うんだが、仕事が好きなのかな。

ゆうこちゃんの持ち込んでくれたワインなど、さんざ飲んで酔っ払って意識が消えた。
いや、まじで途中から全然憶えていない。
何かよからぬ事をやってなければ良いのだけど(・´ω`・)。



1月2日
お出かけ。
途中で妹夫婦と合流する予定を組んで、蒲刈方面へ出かけた。
みかんで有名な大長と橋が繋がっており、その先にも行けるという話で。

ドライブするならどこかいいとこある?
なんて質問を地元の従姉妹たちにしたら「ジャングルジムは?」という話が出た。

本来は宮島とか広島市内の博物館なんていう案に従うのが筋だろう。
けれど、宮島はちょっと食傷気味で市内の方は博物館が休館しているらしく、健康的に島巡りになったのだ。

ジャングルジムはテレビで見た事があって、日本最大だか世界最大だかと言われていたような記憶があった。
島へ渡る橋はどこも晴天のおかげでとても風情があった。瀬戸内の景色は大自然というよりも人間寄りのスタンスで心地が良い。ずっとこんな風景に慣れてしまっていたので、いきなり大岸壁の飛び散る潮を見せられても私にはちょっぴり違和感があるのだ。

穏やかな海とそこにぽかぽかと浮かんでいる長閑な島々の景色は、私の原風景の一つだろう。

島はどこも柑橘系の産地だ。だもんで、山肌が黄色く見えたりすることもある。
みかんに檸檬。
この辺のどこにもそれらが植えられており、暖かい日差しとともに目にも鼻にも気持ちが良かった。

問題のジャングルジムは…。
どちらかと言えば「行かなきゃ良かった」系の珍名所であった。
そう言えば道を聞く(案内板さえ無いもんで)時に、聞かれた地元のおばちゃんが「わざわざお気の毒に…」という顔をされていたと母が言った。
駐車場に停めてから断がいを細い階段で登ると、やたら見晴しの良い原っぱに出る。ココがジャングルジムの上の部分と地続き。
高所恐怖症の私は細い階段を登っている段階で足が動かなくなってしまった。
しばし迷ったもののそこで下りるのは上るよりも大変ということに気付いて、勢いで上ってしまった。
後は私の高所恐怖症具合を知っておられる方には察しがつくと思うが、どうにもこうにも落ち着かない。
もと来た道をおりる事ができないのは分っているから、裏に道路を見つけて、かなり遠回りにみかん畑の中を下りて来た。すると道路沿いにジャングルジムの下の部分へのアプローチがちゃんとあってがっかりしてしまう。

そうは従兄弟のしゅうちゃんとジャングルジムを楽しみ、上の公園で盛り上がっていた。

ま…私はあまりその様子を知らないのだけどね。
(・´ω`・)。


みかん狩りのできるところがあるので、その界隈へ出向く。
大長の町になるんだろうな。
道路からくねくねと細い道で海岸までおりる事ができる。途中に小学校などもあって、民家も密集している割に窮屈感がないのは段差があるからなのか、その風情によるものなのか。
港に出て、側の神社でお参りをした。

みかん狩りの方に聞くと「今親戚が来ているので、もう少し後で畑に行きますよ〜」とのことだった。
けれども、こんなお正月に狩らせろってのも迷惑な話だし、約束の時間にも来られなかった(笑)ので、盛り上がっているんだろうねぇと言いながらそれは諦める。
のんびりしたもんだよね。
(・ω・)b


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お昼ご飯は蒲刈の県民の浜まで戻ってから。
名物の海人丼を随分並んで、随分待って賞味いたした。
出汁がとても良く出ており非常に美味でした。
上に乗っているのは普通に海鮮丼であれば「マグロ・鮭・ハマチ・ホタテ」あたりでしょうかね。
ココでは瀬戸内らしく折々の旬の素材が彩るということで、時期によって内容が違うのかもしれない。
この日は多分(笑)鯛が乗っていたけれども、これが絶妙な大きさに切ってあって何とも繊細で美しかった。
味の方も合計3時間近く待った割には「来て良かった!」と思えるものだった。
県民の浜には温泉もあってホテルやコテージ(なんでもカナダ人夫婦が訪れた際に気に入ってしまい、4棟あるうちの1棟を年間で借り切っているらしいので、予約は一杯になる可能性もあるかも)もあって、夏は特に非常に綺麗な砂浜が目の前なので、海水浴はものすごい人気だ。
当然私たちも夏はココへ良く来て泳いだ。ヤシの木が植えてあったり、過剰に綺麗にしてある(笑)。

帰宅して妹家族と一緒に寝た。
大勢で眠れる居間だったのに、なんだか切ない。



1月3日
最終日。
妹夫婦はお昼過ぎに帰る予定。
名古屋なので埼玉に比べると近い。高速を降りるタイミングで深夜割り引きの作戦だ。
私たちは渋滞もあって降りる時間が深夜割引にすることができるかどうか、ちょっと自信がなかったために0時以後に高速へ乗る事にしていた。
妹たちが帰るまでに昼寝に挑戦したが意外と眠れず。
ふと、家の中を写真に残そうと思い立ってうろついた。

この家は改築を重ねていたために、それこそ柱の傷に思いで一つというような雰囲気ではないのだけど、やはりそこかしこに思いが残る。
区画整理がなければ永遠にこの地に改築を重ね(?)つつも残っていたと思うし。

私の体が弱かったから全室に採光を考えて作った家。
今も柔らかい日差しがどの部屋にも注ぎ込んでいる。

弟と使っていた子供部屋は、私が中学校の頃に増築して二部屋になった。
私の部屋は増築した部分にありここが一番の陽当たりだ。
その部屋は私の後は妹が使い、今は父の第二アトリエになっていた。

子供部屋の本体は大きな本棚。
亡くなった弟が持っていた本がまだココに残っている。

階段を挟んで両親の寝室。

そこからアトリエまで細いベランダがつながっている。
このベランダからそうは落ちた事があったな。
大騒ぎになった。
(・´ω`・)。

アトリエ。
大きな柱が組んであって、絵のお弟子さんが入れ替わりココで学んでいた。
アトリエから見える風景は本当は田んぼであり、その向うに川の土手があって川になる。
今はもうたんぼは埋め立てられており、近所の人が駐車場にして使われていた。

私は昔このたんぼでも叱られるまで遊んだ。

「田んぼ」と聞くと世界中で一番思い出す場所。
この帰省ではそうとサッカーをやった。
これがこの田んぼでの遊び納めなのかな。


妹一家をお見送り。

そうはしゅうちゃんを(元気に)見送った後で、急激に落ち込んでしまって無きそうな顔をしている。
しばらく部屋の隅に閉じこもってこちらに寄って来なかった。
落ち込みは、クルマの中でフテ寝して、空港あたりで目覚めるまで続いた。
(・´ω`・)。


夕方の5時ちょっと過ぎにお別れを行って出発。
夜中に(例えば11時頃)出る予定だったのだけど、両親が結構疲れて見えたのが気になったので早めた。
智ちゃんもお土産を買いたいというので丁度いいかと思った。


区画整理で便利になるんだろうなぁ。
飯能に比べてもクルマが多いと思ったし、この辺が栄えて人々が幸せならばそれはそれで良い事だとも思う。
だけど、元からいた人達は大きな財産を失ったと思うよ。
「つまらない田舎です」と自虐気味に郷里を語った人もいた。だけど、つまらなくなんてなかったと私は今でも思うし、あのままあの場所に故郷があるのならば、いつか戻ったかもしれないとも思う。


ココ飯能に家を買っちゃったけれども、それでもそう思うんだ。


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それにしても。
しみじみと、家にお別れできたのがとても良かったと思った。
仕事もしてないから半ば諦めていたのにね。



帰りは私にとって結構ハードだった(T∇T) 。
375号で2号線のバイパスへ右折。
2号線をしばらく走って広島空港に寄りお土産を購入。
また2号線に戻ってまずは尾道で夕食。ココで尾道ラーメン!
たまたま入ったお店がとても美味しかった。
2号線から右折すると尾道市内という十字路を左折してしばらく。
反対側に小さなお店があって、閉店間際に突っ込んだ。

実は有名店を市内に検索出来ていたので向かったのだが、営業終了ということでしばらくさまよって入ったのがココって訳だ。尾道ラーメン起八。写真撮る間が無かったのが悔やまれる。
あっさりとして出汁のよく利いた絶品だった(と思うがどうなのだろうか)。


尾道で腹を膨らませて更に2号線をひた走る。
父に聞くと「姫路あたりで山陽道に乗らないと2号線と山陽道が離れてしまう」ということらしく、姫路で乗る事を考えていた。

ところが。姫路に着いてもまだ時間が深夜割り引きの時間ではない。
仕方ないのでそのまま2号を走るのだが、今度は明らかに有料道路に乗ってしまって(2号線はどこへ行ったのだ!?)訳も分らない。
もういいやと思ってその辺で降りてはみたが、さっぱり方向も分らず。
(T∇T) 。

後は天性の勘に委ねてその町(神戸の少し手前だった)を走っていると、ようやく2号線に遭遇した。

そこからはようやく出た「大阪」の標識を頼りに、神戸(そういえば、えぼきぃ号は神戸から来たんだよね)を抜けて給油を一度行ってから大阪へ。

大阪でようやく高速に乗り、後は通常のルート。


ちなみに大阪〜名古屋のあたりで気温は6度あったのが中央に入ってから一気に冷えて、諏訪湖SAで給油した時に諏訪湖畔の美しい夜景に見蕩れつつ凍り付きそうな気温に痺れた。ここではマイナス7度であった。

諏訪湖を出た頃に夜が明けはじめる。

朝焼けの八ヶ岳。
シルエットになっている美しい稜線が優しかった。
富士山もバッチリ見えた。


中央から圏央道へ。
青梅インターから降りて帰宅したのは朝7時45分だった。
ウチの家はちなみにマイナス5度だった。
(・´ω`・)。

以上帰路は走行距離883キロ。
4割下道の旅。面白かったけどね。
(・ω・)b










…腰痛がでますた。
(TωT)。






さて、山なし、落ちなし、意味なしの私のブログですが、今年もこんな調子で書いていきたいと思っております。
私としては仕事のお昼休みの時などにお弁当を食べながらのんびりと読んでもらうのが一番嬉しいかなと思っております。




今年も一年皆様が心穏やかに過ごされますように。
(=゚ω゚)ノ




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この記事のコメント

ヨロヨロシクシク
ちょい遅れながら
明けましておめでとうございます。
今年もあんな事からこんな事までヨロシクお願いしますm(_ _)m

しかし、人間ってのは破壊と再生を繰り返して生きていくんですね。
人口増加も横ばいが良いとこなのにこれ以上住むとこ増やして
どうすんのか?
便利なだけが美徳になるのかねぇ〜(美はそこには無いか・・・)

てか、じゃあもう瀬戸内には帰省しなくなっちゃうの?
寂しいなあ。
また、しまなみオフしたかったのに・・・
なんだか良い思い出はすぐに遠い物になってしまうね。
2009-01-09 Fri 08:49 | URL | ぶーとん #-[ 内容変更]
ことよろです。
ぶー様。

あけおめです!
昨年は色々と本当に御迷惑をかけてしまって、申し訳ありませんでした。
私もまだまだ鍛え方が足りないと思います。
懲りず、今年も宜しくお願いします!
(=゚ω゚)ノ

人口増加傾向でもないのに、確かにそうですよねぇ。
呉市は元々造船と海軍の町で戦後しばらくまでは結構賑わっていたと聞きます。
でも私が高校の頃(今から3〜4年前でしょうか)には呉の繁華街は閑散としていました。

呉市街からクルマで20分ほどの我が広町は、どういうわけかそれほど造船景気に左右されなかった場所のように感じます。だから市街よりも田舎のくせに栄えつつあるような?

大学の移転も大きかったですね。
これで悪い仲間と無○許で「みなごろし街道(375号)走ろうぜ〜」と走り回っていた、寂しい国道が大学から市内、或いは広島市へと抜けるための大きな目抜き通りになるようです。
(・´ω`・)。

帰郷はどうなるのかなぁ。
従兄弟親戚は多くいるので、事情を言えば泊めてくれるかも?
しまなみは私もとても楽しくて(余りに思い切った企画でしたしね!)大きな想い出になっています。
またやるのであれば参加したいなぁ。

まあ、あれだ。
お互い若いんだから800キロオーバーを走って当日参加ってのもあるかと思いますがね。
(=゚ω゚)ノ

2009-01-09 Fri 17:01 | URL | えぼきぃ。@正月ぼけ #d/CpiV46[ 内容変更]
あけましておめでとうござます!^^
本年も色々とよろしくお願いします♪

新年会出来なかったのでは残念でしたが、思い出に残る良い帰省が出来たようですね〜

僕もこの場所には一度お邪魔させてもらってるのでその時の思い出が…狭い畦道をビビリながらそろそろと走り、溝に落ちないよう全員に見守られながら駐車して、夜は美味しい魚をツマミに美味しいビールを飲んで…楽しかったですよね〜

そしてしまなみオフ♪オフ自体はもちろん楽しい思いでですが、この時のえぼきぃさんの日記が大好きで今でも時々読んでたりします♪

今年も何か楽しい思い出作りが出来ると良いですね〜

2009-01-10 Sat 13:19 | URL | ひがとら #8J0Mf7kc[ 内容変更]
まずいなぁ。

ひがとら氏にもすっかりお世話になってしまっているのに、ご住所を聞き忘れてしまいました。
(TωT)。
年賀状はお会いした際の手渡し(私からのキスのサービス付も可)ということで楽しみにしておいてくださいまし。

そうっすよね〜。おかげさまで実家の前にたんぽぽの群生を作る事ができたのは、実家の想い出の中で一番ビビッドな出来事の一つですよ!
あの時ひがとら号が近隣の若者に囲まれてインタビュー受けていたあたり、あのコンビニのあったところが、その昔デートで歩いたあぜ道の…上約3メートルだと思います。
(TωT)ノシ

想い出がある場所が無くなるのはとても寂しいことですが、大なり小なり皆さん同じですよね。
それよりもひがとらさん言われるように、新しく楽しい想い出を作りなさいって事なんだと思います。
(=゚ω゚)ノ

はうっ。
ひがとらさんで思い出しましたが。
「広島に帰るんだから旧市民球場を取材しよう」と意気込んでいたのをすっかり忘れてた!
津田プレート(知ってます?)撮影して来ようと思ってたんですよ。
(TωT)。
旧市民球場も春に取り壊しですもんね。


ま、仕方ない。という事で(汗)。

今年も宜しくお願いします!
(・ω・)b


2009-01-10 Sat 15:17 | URL | えぼきぃ。@正月ぼけ #d/CpiV46[ 内容変更]
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